昭和49年12月01日 月例祭



 今年も愈々最後の月になりました。せめて初めと最後だけはと申しますが、今年の信心の締めくくりをさせて頂きたいと思う。どう言う様な信心で締めくくらせてもらうか。様々なことがあった。けれども本当にあれもこれも、みんなおかげであったとお礼の言えれるような、締めくくりでありたいと思います。あれもおかげであった。これもおかげであったと分かる様になれば、本当真の信者じゃと、教祖様は仰っておられます。そういうあれもおかげ、これもおかげと思わせて頂く世界。
 そういう世界を私は信心の世界だと思います。ですから先ずは分かる。そして感ずる信心に進んでいかなければいけません。分かる信心から感ずる信心。勿論有り難く感ずるという信心です。今日は日曜と一日が重なりましたから、朝からそれこそ引きもきらぬお参りでいっぱいでございました。合楽示現活動が言われるようになり、お互いがそういう祈りを持たせて頂くようになりましたら、思いもかけない人達が、思いもかけない事柄で、合楽へ合楽へと、足を運ばれる様な事になってきた。
 有り難い事だと思います。それは人間が、愈々幸福になって行く、幸せになっていく道を求めてからのことだからでございます。今日は丁度特別奉修委員の方達の御祈念をさせて頂こうとしておる時に、久留米の市長さん達が一行、お役所関係の方それからご自分の奥様兄弟の方とご一緒にご参拝でした。本当に初めの間は選挙が取り持つ縁で御座いましたけれども。それから段々本当に信心が市政の上に現され、又現そうと願われるところから、合楽の信心を頂かれるようになりました。
 今日などはご兄弟の様々な一人ひとりが持つ問題とか、難儀と言う事についてのお願いやらも御座いました。金光様のご信心は、私は成程大きな信心がよい。大きな信心とは迷いのない事だと、教えられるのですけれども。同時に牛馬の事に至るまで、氏子身の上なんなりとも、痛みとか痒いがあっては家業が出来難い。それは「牛馬の事に至るまで、実意を持って願え」と仰せられるのですから。人間の少しでも楽になる、幸せになれれる道を体得させて貰うて、幸福な生活を願っていくと言う所にあるのです。
 その有り難いというか勿体ないというか、それを感ずる心が自分一人では勿体ない、自分家族だけでは勿体ない。これを自分の周辺にもまたこれを、世界中の総氏子がこういう有り難い信心を頂くようになったら、どういう有り難い事になるだろうかと言う様な願いが、次第に大きくなっていくのでなからなければいけません。市長さんの場合は初めは、大きな事から入られた訳ですけれども。段々最近では小さい身の上の事まで、お願いをなさる様になって来た。
 そこから神様の有り難さ勿体無さが分からせて貰い、それを又市政の上に世界の真の平和のために、祈られ尽くされるようなおかげを頂くと言う事が有り難い事だと思うです。丁度四時の御祈念ちょっと前です。伊万里の竹内先生達がご一行でまた参られた。今日は東京に出張しておられた、その帰りにお家から秘書の方それから奥様を始め、みんなお迎えに出てそして福岡で迎えてこちらへみんな参拝して見えたんです。今度は先生私は先日からの高松の宮様が、お偲びで竹内先生の所に見えておられました。
 そのお礼というか是非今度は東京に見えたら、私の方にも寄ってくれと言うてあったのか知らんけれども、高松家に今度は寄せて頂きました。まぁ色々とお土産を頂いて帰った。それから私にも、お土産をと言うて高松家からのお土産を頂戴致しました。その中に、東京の近所に「愛」という駅が出来ておるそうですね。愛それから「幸福」という駅が出来ておる。国鉄の駅名です愛の駅から、幸福の駅へというのです。それをねあなた方市長さんなさったりすると、仲人やらをなさらなきゃならんから。
 新郎新婦にはなむけに上げなさるといいですよと言うてから下さった。それを私に持ってきちゃる。こりゃほんなもんじゃなかったと思いよったら、これはやっぱそう言う所が実際あるらしいんですね。テレビなんかでも言ってるそうです。切符ですよ二枚。これが何と年にですね、この駅が出来てから、年に六万枚ずつ売れるそうです。乗らないで買う人が。送りものにする訳ですね、新婚さんなんかに特に。
 愛の駅から幸福行きと書いてある。人間がいかに愛を願い求めそして、幸福を願っておるかと言う事が、こういう一つの断面をね感じる訳です。誰だってそうなです。みんな愛したい愛されたい。そして幸福になりたい。それで私が申しました。さしずめ合楽では極楽駅から合楽駅へと言う事になりますなと言うて、お話をした事でした。極楽駅から合楽駅でならなければならない。
 これが私共金光様のご信心をさせて頂く者の、いわば最高の願いである。一人ひとりがそういう願いを持たせて頂かなければ、金光様のご信者とは言えない。為にはまずあれもおかげであった、これもおかげであったと分かるような信心を頂かなければならん。お礼を申し上げねばならない事に腹を立てておる。本当にお礼こそ言わなければならない事に悲しんでおる。そういう生き方の人を見るに付けてもです、金光様のご信心をさせて頂けば、あれもおかげこれもおかげと分かるようになる。
 本当にここん所が分かり出しましたら、そりゃ素晴らしいです。又おかげも素晴らしいです。先日から久留米の佐田さんの奥さんのご兄弟が明石という、須磨明石という大変風光明媚な所がございます。その明石で大きな仕事をなさっておられたけれども、この不況の波でです、大変行き詰まっておられる。どうにも出来ない所から、お兄さんの佐田さんの所へ電話をかけてこられた。あわ良くばお金の二三百万も借らせて貰おうかと言う様な思いであったらしいのです。
 そういう行き詰まっておる、困っておるならばとにかくこちらへ出ていらっしゃい。なにをおいても出ておいで。私達が信心によっておかげを頂いておる話を聞かせてあげるからと言う事であった。一昼夜がかりであちらから自動車で見えられました。おかげを受ける人は違いますよ。もう本当に先日この前のお月次祭に、幸せという字を逆さまにして、幸福の芯をずっと、長く頂いたという話を致しましたでしょう。
 その方が頂かれたんでした。それこそその後に電話がかかってまいりましたのに、帰る道々それこそどこから湧いてくるか分からんけれども、有り難涙に暮れながら帰ったと言う。そうしてそういう難儀な例えば帰り道に、奥さんに話しておられる事がです。例えばここに三百万の金でも、姉さんから借りて帰りよったら、こんな有り難いものは生まれてこなかっただろう。それを言わんで済んだと言う事も、有り難いが借らんで帰りよる、そしてここにこういう有り難い、神様がござったと言う事をです。
 そしてそれを自分が今頂いて帰っておると言う事がです、運転をしながら涙がこぼれてしょうがなかったち言う。昨日も電話がかかって来た。一遍にそれこそあれもこれもがおかげになったと言う事はないけれども、とにかくおかげと言わなければおられないほどしに、問題が有り難い方へ、おかげの方へと展開していく、その様子を夫婦の方で、もうそれこそ二階に簡単に、今度頂いて帰ったお神様をお祭りして、それこそ夫婦の者が駆け上がるようにして、お礼を申しあげておる日々だと言う事です。自分の考え方がいうなら、思い方が全然、引っくり返ってしまったんです。そこから本当の幸せの道が開けれるぞと。俺達もこりゃ幸せになれるぞと言う様なおかげになって来た。
 これは先日から丁度十時頃でした。私は何時も九時にここ下がるんですけども、下がれなかった。ある方達のお取次ぎしよったから十時頃までここへ座っておった。そしたらけたたましく電話がかかって来た。その掛ってきたというのが、初めて合楽にお電話をする者で御座いますと。それこそ見る事も一面識もない私でございますけれども、のっぴきならない問題でどうにも仕方がないから、お電話をかけたとこういう訳。
 話を聞いて見るとやはり難儀な問題です。それで私がまずご両親が熊本におられると言う事ですから、両親の元に帰れと。そして明日早速帰る。そんならその道すがらが久留米なんだから久留米に寄って、合楽に寄って私も又申し上げたい事がある。あんたもそれを頂いて、熊本に帰る事にしなさいと言う様な事で、電話を切っておりましたら、明くる日、北野の日吉永吉さんという、青年会の方がおりますがその方に導かれて参ってきました。話を聞きますと丁度七年前、久留米に電々公社へ勤めております。
 同じ日吉さんの先輩に当たる方です。七年前にねある夜の勤務の時に、日吉さんの部屋に入った所が、日吉さんがベットの上で一生懸命ご祈念をしておったと。神様を拝んでおった。あんた若いのにあわず何ば拝みよるのち、言う様な事からです、自分はこうして合楽の信者で、合楽の信心はこうこうだと言う事を聞いた。その時にはなんでもなく聞き過ごしておったところが、七年後の今日そういう大変な、どうにもこうにも出来ない問題に直面した時です。
 もう結局夫婦親子三人で、それこそガス心中でもしようという話までした。そしてね、そういう時にふっと七年前の、日吉さんが拝みよった神様の事を思い出したというのです。電話をかけた。ところがあいにくと、日吉さんは留守であった。まぁやはり神にも仏にも見放されたんだと、半ば決心しようとしておる時に、またけたたましく電話がかかって来た。それが何と日吉さんだった。七年ぶりに思い出して電話をかけた。七年ぶりに又日吉さんが電話をかけた。
 あなたからかかってきたから、掛ってそれぞれに銘々違った問題で電話をかけ合うた。そういう時に、あなた助かりますよち私は申しました。七年前にいうならば神様の御縁の綱が投げかけてあった。その綱を七年ぶりに手繰り寄せようとしたら、そういう働きが始まっておる。感動しましたね。神様が一人の人間氏子を助けて下さろうとする、その働きの微妙さにね、只々驚きます。
 翌る日はそん中に、大変劇的な話があるんですけれども、翌る日又電話が掛って参りまして、家内が是非親先生にお礼を申し上げたいと申しますからと言うて、電話が掛って来た。それこそ向こうでは、私の声を聞いた途端に、胸がつまられたような感でした。おかげで親子三人助かりましたと言ってるんです。恐らくありゃ拝んでおる姿だろうと思いました。おかげで主人がね心機一転これから本気でやり直すぞと。
 俺達でも是で助かる事が出来るかもしれんぞ言う様な、ほのぼのとしたものではありますけれどもほのかに自分の心の中に、自分が是から助かっていく道が開けるだろうという気がしてきた。おかげで死なんで済む事になって来た。竹内先生にさしずめ愛の駅から幸福の駅へと言う様な事が、その様に皆が関心を持ち、年間六万枚も売れると言う様な、いかに人間が幸福を願い、愛を願っておるかと言う事が分かるが。
 それこそ極楽の駅から合楽駅へと言う様なです、もし切符があるとするならば、本気でそれを求め、そして汽車があるならば、車があるならばそれに乗せさせて頂こうと言う様なです、おかげを頂くのが、今の合楽示現活動の起こりであります。神様もそういう願いを思われ私も、そういう願いを思う。その神様の思いと私の思いが一つになった所から合楽示現活動に参画させてもらうという運動が起こされてきた訳であります。
 今日竹内先生がお導きをして見えた、秘書課長の方何とかさんとか言った。この方は行く行くは、有名な何とか神社のご長男だそうですから、神主をしなければならない運命にある人なんです。それで、一遍合楽の先生のお話を頂きたい。今日は来る早々おかげの泉を全部まとめて、今日は求めて帰られた。そしてぱらぱらとめくられた所に、それこそ自分の心に打つものがある。初めてお参りですから何か一言、この人に御理解を下さいという事でございました。
 合楽には神主さんでも坊さんでも、いやどういう宗教を持っておる方でも、本当の事が分かったら、私は教えを乞いにくるほどしの内容が、ここにはあると私は思うんです。それで私は昨日の朝、私が神様から頂いたお知らせの事を聞いて頂いた。神心信と言う事を頂いた。それが神心信の神様は神の神。しんは心ですじんは信心の信。そう言う意味で神心信と頂いた。それを昨日の朝の御理解に聞いて頂いたんですけれども。信心というのは、どこまでも神様を信じて疑わない。
 そこから確立確固とした、信念が生まれて来るというのでございますけれども。そのためには先ずはです心です。心を自分の心を自分で信じれれる私になる事を、先決にしなければならないと言う事であります。子供に信用して欲しい、家内に信用して欲しい主人に信用してもらいたい。親からなおさら信用してもらいたい。信用して貰いたいと言う事ばかりでは、皆が信用しません。自分が自分の心を信じれれる私になる。こういう汚い口にはこんな良い事を言いながら、心じゃこんな悪い事を思うとる。
 いうならばです。我と吾心が、拝めれるような心と言う事だと思うです。普通でいうならば是は、あの人を憎むのが普通であろうけれども。普通でいうなら憎まねばならない人の事を祈ったり、あの人のおかげであると思うておるような心に、ふっと自分の心に気付きます時に、本当にようもここまで、自分の心が育ったもんだと、自分の心を拝みたい様な事がございましょう皆さん。そういう心が段々本当なものになっていく。そういう心がお育てを頂くと言う事でなからねばなりません。
 神心信神の心を信ずるとこう書いてある。字には書いてありますが神様をそこから、愈々信じて疑わない生活こそ、安心の生活と言えるのです。今年も愈々一月ですから一月を、本当に締めくくらせて頂くのにです。様々な事があったけれども、その様々な事の一つひとつが、みんな私の信心の根肥やしというか、豊かな心又は美しい心。その事によって改まらせて頂いたと言う様にです。あれもおかげであった、これもおかげであったと分かるようになる信心。
 そこでです先ほどから、その日吉さんの七年前の知り合いの方が、七年前の事を思い出して電話をかけたと言う。佐田さんのご兄弟の赤字で、今お仕事なさっておられるその事といいです。確かに合楽ではです極楽行きの切符を、皆さんに買わせる働きが、凄まじくあっておると言う事でございます。だから皆さんもです、矢張りこうして合楽へ合楽へと参られるのは、合楽の信心を頂いていけばです。
 これは私達も幸せになれれるぞと、おかげが受けられるぞという、その見通しが付いたと言う事は、すでに極楽行きの切符を買われた訳であります。けれどもこの愛の駅から幸福の駅へという切符を頂いても、只頂いただけではいわば愛の駅にも、幸福の駅にも行けれる筈がありません。皆さん切符を買われたなら本当にそれに乗らなければいけない。まずは極楽行きの切符を求めたならば、本当に極楽にいかなければならない。これこそ極楽の世界であろうかというようなおかげを頂かなければならない。
 そこからです、その極楽行きの切符を求めさせて頂いたならばです。今度はそこからまた、合楽行きの切符を買わせて頂いて、合楽というのは、合楽教会という意味ではありません。合楽というのは自分一人が、極楽の中に安住しておるというのではなくて、この極楽を、あの人にもこの人にも、広げて行こうと言う事なのです。それが神様の願いなのです。神様が信心して、氏子おかげを受けてくれよと願っておられるのは、ただお前達が極楽行きをしてくれというだけではなくて、その信心の喜び味わいというものを、それをまた人にも伝えていってくれよと言う事なのです。
 そこの所に今合楽は、御縁を頂いておる全部の人達が、自分は感じておる感じていないは、別として神様がそういう働きかけをなさっておられるのが、今日の合楽であります。だからそこにお互いがです、自分自身が極楽に行っておる自覚。いうなら極楽行きの切符を買ったんだから、愈々極楽に行けれるぞというその喜びをです。これをまた人にも伝えて行こうと言う事に他ならないです。
 そこで極楽行きの切符を求めさせて頂いた。その極楽行きという汽車なり船なりに、乗ると言う事は、どう言う事かと言う事です。それがです皆さんがお話を聞いて下さって分かると言う事。金光様の信心ちゃ話を聞けば聞くほどに、有り難い信心だな、神様だなという事が分かる。そこから行ずる生活。教えを守らせて頂く生活。そこから感ずる生活に入っていけるのであります。有り難いと言う事を感ずる。そこには確かに暑かった寒かったもないほどしの心の状態が開けて来る。
 分かる信心から感ずる信心へ。それは何を感ずるかというと極楽を感ずる。その感ずる極楽をです又自分の周辺に広げて行こうというのがもうすでに、合楽行きの切符を買ったと言う事になるのです。そういう働きをお互いが銘々させて頂く事を願うと言う事を、参画させて頂くという事になるのです。参画と言う事は、そういう働きに預からせて頂くと言う事です。それが神様の一番の願いであってみれば、神様の一番の願いである所の、願いに応え奉る生き方をする所にです。
 氏子の事も又神様が私共が一番願っておる、求めておるというものを、下さる事も出来れる働きが、自ずと付いて来るという風に思うのです。愈々十日はご本部で報徳祭がご本部の報徳祭は大変意味が大きいです。二代金光様そして四神様。そして功労のあった先生方の合同のいわば異例のご大祭というてもよいでしょう。所が九州でいう報徳祭というのは、以前は二代金光様、四神金光様、四神様のお祭りと申し上げました。皆さんもご承知のように、四神様のおかげで九州に道が開けた。
 ですからこの報徳祭は九州の祖である所の、小倉の初代がご本部の先生方にお願をして、もう一事が万事経費の全部を九州で持って、お祭りを始められたのが、報徳祭の起こりだと言われております。それは大変な報徳祭というたら教祖大祭よりも沢山なお参りが、九州から団体の旗を仕立ててお参りをしたと言う事で御座います。それが段々九州の方も希薄に、薄くなって来たような感じがする。いうならば四神様が、九州の大恩人でおありになるならば、三代金光様は合楽の大恩人であります。
 今はだから四神様と三代金光様のお祭りを、九州では報徳祭と申しております。私にとっても三代金光様が、もう善導寺の親先生が、私のことに付いて進退伺いをして下さった。商売をしても、どうしてもいけません。これから大坪がどういう生き方をさせて頂いたならよかろうかと言うて、お伺いをされた時に「お道の教師としておかげを受けられたら結構です」というお言葉を頂いた。さぁそれから十七八年間というものは、教師になれる所か、教会になれる所か反対に。
 なすまいという働きが、非常に強かったです。いうならば目も当てられない時代があった訳です。けれどもただ三代金光様がです、お道の教師になられたら結構だという、たったその一言が縋る頼るというなら、その一言で十七年間も辛抱してきた訳です。当時皆さんが、わざわざ金光教と言わんでも良いじゃない。銀光教でもよかれば、神愛会でもよい。新たなここに一派を立てても良いと言う様な説まで出るほどしの時代がございましたけれども。どこまでも矢張り十年が二十年かかろうとも。
 お道の教師にお取立てを頂くと言う事が、私の願いでございました。その願いもです金光様の一言があったればこそであります。今日の御理解じゃないけれども「神の一言は舟にも車にもつめぬほどの神徳がある」と仰せられる、神徳を私は感じておったのです。その二代様と三代様のお徳に報いるというご大祭が、十日にご本部で行なわれここではおそらく全国で一番初めでしょう。十六日にお祭りを仕えるとは。他では皆来年善導寺あたりは三月ぐらいに報徳祭はあります。
 けれどもご本部の報徳祭を受けて、大祭を受けて、六日後が春秋夏の、何時もご大祭でありますように、報徳祭もやっぱり同じことであります。ですからそういう意味を持ったご大祭ですから、私共とりわけ大事にしなければいけませんが、ご本部参拝も九日から致します。帰らせて頂いたら直ぐ合楽の報徳祭にかかる訳でございますけれども。どうぞ今から示現活動の一介として、沢山の人に十六日の日はご大祭だ。
 十時からだ報徳祭には、ぜひあなたもお参りなさい、私共の車に乗っていってもいいですからと言う様にです。いうならば皆さんに、神様の縁の糸を投げかけておくと言う事なんです。そして連れて参ってくれという方達は、一緒にお参りをする。私は示現活動の一番優しい生き方が、そういう在り方だと思います。とりわけ大祭とかお祭りという時にはです、そういう示現活動が一番し良い時です。今晩は合楽のお月次祭ですから、お参りしてみらんですかと。これが示現活動なんです。
 ましてやそういう大祭があるというのですから。今からお互いの事は勿論です、ちょっとその日は、繰り合わせておいてです。それこそ全店を挙げて一家を挙げてお参りさせて頂こう。そして親戚の人達にも、十六日の日はこういうお祭りだからと言うて、今から示現活動をしておくと言う様な心積りが要る。それが合楽示現活動に参画しておる人達の、当然の信心ではなかろうかという風に思うのです。
 どうぞそういうおかげを頂くと同時に、今年一年間せめてこの一月間一年間出来なかった信心をです、振り返ってみてお詫びの印。お礼の印に一つ本気で信心に取り組ませて頂きたい。それもどこまでも、信心に取り組むと言う事は、いわゆる神心信であって、先ずは自分の心に取り組むための、道を教えて頂く事に専念させて頂かなきゃならんと思うのでございます。
   どうぞ。